最近SNSで、こんな言葉を見かけた、という投稿を目にしました。
「今の日本は氷河期世代のせいだ」
それを見た瞬間、氷河期世代の私が思ったのは——
「え、むしろ私たち、被害者側じゃないの?😢」
もちろん、今の日本に起きている問題を、どこかひとつの世代だけのせいにするのは簡単です。
でも、本当にそうなのでしょうか。
氷河期世代は、今の日本を悪くした”加害者”なのでしょうか。
それとも、大きな時代の流れの中で、理不尽を受け止めながらなんとか生き抜いてきた世代なのでしょうか。
私は、後者だと思っています。
そして同時に、今だからこそ思うことがあります。
私たちはただ被害者として終わる世代ではない。 自分たちが経験してきた痛みや違和感を、次の世代にどう活かすかを考えられる世代でもあるのではないか、と。
今回は、戦後から現代までの社会の流れ、経済、働き方、教育、子育ての価値観を振り返りながら、氷河期世代が何を背負い、何を乗り越え、これから何を渡していけるのかを考えてみたいと思います。
戦後の日本は「生きるために働く」ことから始まった
今の働き方や価値観の根っこをたどると、戦後の日本に行き着きます。
戦争が終わった直後の日本は、文字通り焼け野原でした。
食べるものも、住む場所も、仕事も十分ではない。
人権や自由という言葉があっても、まずは今日を生きることが最優先だった時代です。
この時代に根づいたのは、 「文句を言わずに働く」 「我慢する」 「家族のため、会社のために自分を犠牲にする」 という価値観でした。
当時を生きた人たちが悪かったわけじゃない。 そうしなければ生きていけなかった、そういう時代だったのだと思います。
ただ、その”我慢して働くことが美徳”という感覚が、その後の高度経済成長期へとそのまま引き継がれていきます。
高度経済成長期に根づいた、「24時間働けますか」という生き方
戦後復興を経て、日本は高度経済成長期に入ります。
「頑張れば豊かになれる」と信じられた時代。終身雇用と年功序列という仕組みが完成したのもこの頃です。「若いうちは安月給でこき使われても、会社に一生尽くせば定年まで面倒を見てもらえる」という暗黙の取引でした。
長時間労働、休日出勤、接待ゴルフ、上司の言うことは絶対。
「24時間働けますか」という言葉が象徴するように、
仕事に人生を捧げることがかっこいいこと、正しいこととして扱われた時代です。

一方、家庭の中では女性が家事・育児・介護を担うことが当たり前とされました。
男性は外で戦い、女性は家庭を守る——その役割分担が、社会全体の空気として深く根づいていきました。
経済が右肩上がりのうちは、この仕組みはうまく回っているように見えました。
でも裏を返せば、「会社に尽くせる人間だけが守られる仕組み」でもありました。
そしてこの仕組みが、バブルの時代へとそのまま引き継がれていきます。
ただ、ここで一つだけ忘れてはいけないことがあります。
今の私たちが「当たり前」だと思っている女性の権利は、
誰かが命がけで戦って切り拓いてくれたものだということ。
朝ドラ「あさが来た」のモデルになった広岡浅子(1849〜1919年)は、明治時代に「女に学問は不要」という社会の空気をはね除けて、炭鉱経営や生命保険会社(現・大同生命)の設立に挑んだ実業家でした。
さらに晩年は女子教育に情熱を注ぎ、日本女子大学校(現・日本女子大学)の創設を支援。
「女性にも学ぶ権利がある」と、自分の財力と行動力をもって社会に示した人物です。

そして朝ドラ「虎に翼」のモデルになった三淵嘉子(1914〜1984年)は、日本史上初めて誕生した女性弁護士のひとりにして、初の女性判事、初の女性裁判所長となった人物です。「妻は無能力者ゆえ弁護士になれない」という法律の壁に正面からぶつかり、当時「女性が法律を扱うなんて」という時代に、ただ前に歩き続けました。
この二人だけじゃない。名前も残っていない無数の女性たちが、声を上げて、戦って、今の私たちが「普通に働ける」「普通に学べる」土台を作ってくれた。私たちがこの時代に生きていられるのは、そういう人たちの積み重ねの上にあります。
どちらもNHKの朝ドラで放送されていました。もし未見の方がいたら、ぜひ調べてみてほしい!!歴史の教科書よりずっとリアルに、女性たちが何と戦ってきたかが伝わってくるはずです!
当時の私はどちらも怒ったり💢号泣😭しながら見てました(笑)。
だからこそ、私たちもその流れを次の世代へ、ちゃんと繋いでいきたいですね。
そしてこの仕組みが、バブルの時代へとそのまま引き継がれていきます。
バブル期の熱狂と、その裏で置き去りにされたもの
1980年代後半、日本はバブル経済に沸きました。
株価は1989年末に日経平均3万8,915円という史上最高値をつけ、土地の価格はどこまでも上がり続けた時代です。 お金を使うことがステータスになり、派手さ・見た目・肩書き・ブランドが強く評価される空気が生まれました。
就職に関しても、当時は今では考えられないほどの売り手市場。 企業が学生を取り合い、就職する側が圧倒的に強かった時代でした。
でも、その熱狂は長くは続きませんでした。
1990年代に入ると株価と地価が崩壊し、日本は長い停滞の時代へと引きずり込まれていきます。
いわゆる「失われた10年」——のちに「失われた20年」「失われた30年」と呼ばれる長い停滞の入り口に、最初に立たされたのが私たち氷河期世代でした。
でも、子ども時代が全部つらかったわけじゃない
ただ、ここで大切にしたいことがあります。
氷河期世代は、たしかに社会に出るタイミングで理不尽な壁にぶつかりました。
でも、だからといって私たちの人生すべてが暗かったわけじゃない。
子ども時代を思い返すと、めちゃくちゃ楽しかった記憶がたくさんあります。
毎日アニメがあった時代
学校から帰るとテレビをつけるだけで、夕方にはアニメが流れていました。
ドラえもん、ちびまる子ちゃん、サザエさんはもはや「空気」みたいな存在で、
それに加えてドラゴンボール(1986年〜)、シティーハンター、幽☆遊☆白書(1992年〜)、セーラームーン……。
チャンネルをひねれば、どこかでアニメがやっていた。
週刊少年ジャンプは1990年代に毎週600万部超えという、今では想像もできない発行部数を誇っていて、1994年末には漫画雑誌史上前人未到の653万部を記録しています。ドラゴンボールとスラムダンクが同じ一冊の雑誌に載っていた、あの贅沢さ。

月曜日に友達とジャンプの話をするために、学校に行ってたみたいなところ、正直ありましたよね(笑)。
動画配信でいつでも見られる時代じゃなかったからこそ、「その時間にテレビの前にいる」という楽しみがありました。あの頃のコンテンツの密度は、後にも先にもなかったと思います。
ゲームの「進化」をリアルタイムで体感した
そしてゲーム。これも私たちが一番おいしいところを食べてきた世代だと思う。
ファミコンが発売されたのが1983年。まず「ゲームが家で遊べる!」という衝撃があって、
そこからスーパーファミコン(1990年)で画面が一気に美麗になって、
さらにプレイステーション(1994年)で3Dの世界が広がっていった。

カセットに息を吹きかけて起動しようとしたあの感覚。
スーパーファミコンの画面の綺麗さに「うわ、すごっ」てなったあの瞬間。
友達の家で順番を待ちながら遊んだ時間。
攻略本を読み込んで、裏技を教え合ったり、セーブデータが消えて本気で落ち込んだこと。

マリオ、ドラクエ、FF、ストリートファイター——ゲームが「ピコピコした画面のもの」からエンターテイメントの王様へ進化していく瞬間を、全部リアルタイムで体感してきました。
「ファミコンをテレビに繋いで、画面の中のキャラクターが動いた」
あの衝撃は、今の子たちには絶対に味わえない種類のものだと思う。
「暗くなるまで外で遊ぶ」が普通だった
テレビゲームばかりじゃなかった。放課後は近所の空き地や公園に集まって、鬼ごっこ、缶蹴り、秘密基地作り、虫捕り、川遊び——日が暮れるのも忘れて遊んでいました。
スマホも習い事のスケジュールも関係なく、「集まれる子が集まって、思いついたことで遊ぶ」という完全な自由時間がありました。
今の子どもたちは、習い事・スポーツ少年団・塾・スマホのスケジュールで毎日がパンパンで、「何もない午後」がほとんどない。
あの頃私たちが持っていた「目的もなく、ただただ遊んだ時間」は、今思えばとても贅沢なものだったと思います。
今思えば、ゲームの攻略も外遊びのルール作りも、誰かが全部お膳立てしてくれたわけじゃなかった。
説明書を読んで試して、失敗して、また考えて。
あの遊びの中に、実はたくさんの学びがあったんですよね。
この落差が、氷河期世代のしんどさだった
子ども時代は、未来はもっと明るいと思っていた。 頑張ればなんとかなると思っていた。 大人になったら、ちゃんと働いて、ちゃんと暮らしていけると思っていた。
でも実際に社会に出ようとした時、そこには思っていたほどの椅子がなかった。
私たちの苦しさは「子ども時代からずっと不幸だった」ということじゃない。楽しかった記憶や未来への期待があったぶん、大人になった時の現実とのギャップが大きかった——この落差こそが、氷河期世代のしんどさだったのかもしれません。
氷河期世代は、努力する前に「椅子」がなかった
就職氷河期世代とは、1990年代半ばから2000年代前半に学校を卒業し、就職活動をした世代を指します。
内閣府は、1990年代の成長鈍化の影響を受けた1974〜1983年生まれをその中心層として整理しています。
私たちの苦しさは「就職活動が大変だった」という話だけじゃありません。
そもそも、正社員の椅子が極端に少なかったのです。
数字を見れば、それは一目瞭然です。
- バブル真っ盛りの1990年、大卒の求人倍率は2.77倍(1人に3社近くから声がかかる売り手市場)
- それが最も厳しかった2000年には0.99倍にまで暴落
- 大卒の就職率は2000年に63.3%まで落ち込んだ(バブル期は80〜90%台)
- 100社受けても内定が1社も出ない、それが当たり前の時代だった
有効求人倍率は1993年から2005年まで12年間、「1」を下回り続けました。
ちなみに、コロナ禍で「大変だ」と騒がれた2020年4月でも有効求人倍率は1.32倍でした。あの氷河期の方が、コロナよりはるかに厳しかった。この数字が、全てを物語っていると思います。
企業はバブル崩壊後、自分たちを守るために新卒採用を絞りました。
中高年社員の雇用は守りつつ、新しく若者を採る余裕はない。
そのしわ寄せがまるごと当時の若者に向かったのです。
これは、個人の努力でどうにかできる差ではありません。
にもかかわらず、当時の空気はとても冷たかった。
「就職できないのは努力不足」
「選ばなければ仕事はある」
「甘えている」
「自己責任」
——そんな言葉が当たり前のように投げかけられました。
社会の構造が変わり、経済が冷え込み、企業が採用の入り口を閉めた。
その結果を「自己責任」で片づけられたのが、私たち氷河期世代だったのです。
非正規雇用、低賃金、結婚・出産の先送り
正社員になれなかった人たちは、フリーター、派遣、契約社員などの非正規雇用で働くしかありませんでした。
問題は、「選んだ」のではなく「そこに行くしかなかった」人が多かったことです。
しかも日本は、新卒で正社員になることを前提にした社会でした。
一度レールから外れると、後から正社員に戻ることが難しい。
経験を積んでも年齢だけを見られる。
頑張っても給料が上がりにくい。
その積み重ねは、人生設計にも大きく影響しました。
結婚したいけど、お金がない。 子どもがほしいけど、将来が不安。 家を買うなんて考えられない。 親の老後も、自分の老後も怖い。
これは決して個人のわがままではありません。経済的な基盤が不安定なままでは、人生の大きな選択を先送りするしかない。
その現実が少子化や未婚化にもつながっていったのです。
氷河期世代の中心層は団塊ジュニアと呼ばれる世代で、毎年200万人以上が生まれた日本で最もボリュームの大きい世代のひとつでした。本来なら、この世代が結婚・出産の適齢期を迎えた2000年代に、出生数を大きく押し上げるはずだった。でも、その時期にちょうど就職氷河期が直撃した。
「今の少子化の最大の原因は氷河期世代」という声があります。
でもその根っこにあるのは「氷河期世代が怠けたから」じゃなくて、
「氷河期世代が経済的に追い詰められた結果」なんです。
さらに追い打ちをかけたリーマンショック
ようやく少し景気が持ち直してきたかと思った頃、2008年にリーマンショックが起こりました。
派遣切り、雇い止め、賃金カット——ただでさえ不安定な立場だった人たちに、さらに大きなしわ寄せが来ました。この時の有効求人倍率は2009年8月に0.42倍まで悪化しています(厚生労働省)。
氷河期世代は、社会に出る時にバブル崩壊後の不況を受け、働き盛りにリーマンショックを受けた。
つまり、人生の大事なタイミングで何度も経済危機の波をかぶってきた世代です。
それでも私たちは働きました。
泣きながらでも働いてきた。 悔しくても飲み込んできた。 不安でも家族を守ってきた。
それでも次の世代には、少しでもましな社会を渡したいと思ってきた。
それでも私たちは「優しい社会」に変えようとしてきた
氷河期世代は、理不尽をたくさん経験してきました。
上司に怒鳴られる。
見て覚えろと言われる。
ミスをしたら人格ごと否定される。
セクハラやパワハラが、まだ当たり前のように残っている。
長時間労働やサービス残業も珍しくない。
そんな中で私たちは、心のどこかで思っていたはずです。
「こんな思いを、下の世代にはさせたくない」
だからこそ、後輩や子どもたちに対して、先回りして守ろうとした人が多かったのではないでしょうか。
失敗しないように。傷つかないように。理不尽に踏み躪られないように。自分たちのように心をすり減らさないように。
それは甘やかしだったのでしょうか。
そうは思いません。その時代を生きた私たちなりの優しさであり、防衛であり、愛情だったのだと思います。
ただ最近になって、少し気づくことがあります。
守ろうとするあまり、次の世代が自分で失敗して、自分で考えて、自分で立ち上がる機会まで奪ってしまったのではないか、と。
「失敗させない優しさ」から「失敗を見守る優しさ」へ
昔の私たちにとって、失敗は本当に怖いものでした。
一度レールを外れたら戻れない。一度つまずいたら、ずっとそのまま。
そんな空気の中で、後輩や子どもたちへの「先回り」は当然の選択でした。
でも今は、少し状況が変わっています。
人手不足が進み、転職も以前より一般的になりました。「一度失敗したら人生終了」という空気は、昔よりは薄くなってきています。
実は、最新の脳科学や学習科学でも、これははっきり証明されています。
人間の脳は、自分で「いける!」と思って突っ込んで盛大に失敗した瞬間、神経回路が物理的に作り直されます。
「エラー関連陰性電位(ERN)」という脳の電気信号が発生して、「あ、その行動パターンはアカン」という情報がシナプスレベルで書き込まれる。
「ドーパミン」の働きによって、失敗から得たフィードバックがより深く記憶に刻まれる。
失敗って、脳のOSアップデートそのものなんです。
逆に、先回りして失敗を回避させると、どれだけ丁寧に教えても、この「書き込み」が起きない。
教育研究者のマニュ・カプールが実証した「生産的失敗(Productive Failure)」という研究では、「まず自分で失敗させてから教える」グループの方が、「最初から正解を教えたグループ」よりも、知識を応用する力が統計的に有意に高くなることが証明されています。
だからこそ、これからの私たちに必要なのは——
「失敗しても大丈夫」 「そこからどうするか、自分で考えてみよう」 「必要な時は、ちゃんとここにいるよ」
と見守ることなのかもしれません。
手を出しすぎない。でも見捨てない。 口を出しすぎない。でも必要な時にはちゃんと支える。
これが、氷河期世代が次の世代に渡せる、新しい優しさだと思います。
私たちは「厳しさ」と「自由な楽しさ」の両方を知っている
私たち氷河期世代には、独特の強さがあると思います。
苦しい時代を生き抜いてきたからだけではなく——子どもの頃の自由な楽しさも知っているからです。
ファミコンの(理不尽なw)ステージを何度もやり直したように。
外遊びでケンカしても、次の日にはまた集まったように。
自転車で転びながら乗れるようになったように。
攻略法がわからなければ友達と情報交換して、説明書を読んで、試して、失敗して、またやってみたように。
あの遊びの中に、たくさんの学びがありました。
誰かが全部お膳立てしてくれたわけじゃなかった。
大人が一つひとつ正解を教えてくれたわけでもなかった。
自分たちで考えて、試して、失敗して、工夫していた。
そう考えると、私たちはもともと「失敗から学ぶ楽しさ」を体の中に知っている世代なんですよね。
ただ、大人になる途中で、社会の厳しさがあまりにも強すぎた。
「失敗したら終わり」「レールから外れたら戻れない」「自己責任で片づけられる」——そんな空気の中で、いつの間にか失敗を怖いものとして考えるようになっていったのかもしれません。
だからこそ今、もう一度思い出したいのです。
本当は、失敗って悪いことだけじゃなかった。 失敗して、考えて、またやってみる。その中に、人が育つ力がある。 それを、私たちは子どもの頃にちゃんと体感していたはずです。
「氷河期世代のせい」ではなく「氷河期世代が気づいたから変えられる」
私は、「今の日本は氷河期世代のせいだ」という言葉には、やっぱり違和感があります。
なぜなら、私たちは日本を悪くしようとしてきたわけではないから。
むしろ、時代のしわ寄せを受けながらも、理不尽を少しでも減らそうとしてきた。ハラスメントをなくそうとしてきた。子どもや後輩を守ろうとしてきた。人権が踏みにじられない社会にしたいと思ってきた。
その結果、先回りしすぎたこともあったかもしれない。 失敗する機会を奪ってしまったこともあるかもしれない。
でも、それに気づけるのもまた、私たちだからだと思うのです。
理不尽な厳しさも知っている。 守られすぎる弱さも見えてきた。 そして、自由に遊び、自分たちで考えて工夫した楽しさも知っている。
だからこそ、その間にある「本当の優しさ」を考えられる。
本当の優しさとは、何でもやってあげることではない。放り出すことでもない。
自分で考える余白を残すこと。 失敗しても戻ってこられる場所でいること。 必要な時には、ちゃんと手を差し伸べること。
それが、これからの時代に必要な大人の役割なのだと思います。
最後に
SNSで流れてくる強い言葉に、心がざわつくことがあります。
「氷河期世代のせい」
「上の世代が悪い」
「若い世代が弱い」
でも、世代で切り分けて責め合っても、きっと何も変わりません。
大切なのは、なぜそうなったのかを知ること。
そして、自分たちの中にある痛みや経験を、次にどう活かすかを考えること。
氷河期世代の私たちは、被害者で終わらなくていい。 加害者と決めつけられる必要もない。
傷つきながらも、考え続けてきた世代。
理不尽を知っているからこそ、優しさの使い方をもう一度選び直せる世代。
子どもの頃に自由に遊び、自分で工夫する楽しさも知っている世代。
私たちは、ちゃんと頑張ってきました。 そしてこれからも、できることがあります。
次の世代が、自分で考え、失敗し、立ち上がり、自分の人生を歩いていけるように。
先回りしすぎず、でも見捨てず、そっと後ろで見守る大人でいたいですね。
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